生きながら火に焼かれて

感想

 生きながら火に焼かれて スアド

生きながら火に焼かれて

生きながら火に焼かれて

 

 

何とも恐いタイトル。目をつぶりたくなるような現実。

人を火炙りする事を正当化する文化があり、

おかしいと思いながらも、そういった女性を助けることも出来ず

見て見ぬふり、知らないふり、忘れたふりをして生きていく人間。

異文化だからといって、その文化を尊重し、そのままでいいのか。

本に出てきたジャックリーヌの強さに尊敬する。

また、傷を負い生きていくスアドの苦悩、女性として、妻として、親として。

彼女の経験からいえるように、世界の女性の権利について深く考えなければならない。

 

善悪の判断

何が正しくて、間違っているのか。それは、家族、教育、文化、宗教、国によって決められることが多い。そして、子供は善悪の判断を大人から教わり、それに従うことが良い事だと教育を受けるだろう。おかしいと思っても、子供の力で出来る事は微々たるものだ。日本人の感覚からすると、スアドがいた環境は狂っている。しかし、スアドが住んでいた地域の子供や大人がそういった考えに至ることは難しい。

 

正当化される暴力、殺人

幼いころから、男性は暴力を振り、女性は暴力を振るわれ、殺人がすぐそばで起こるのを見て生きると、それに対して何の疑問も持たなくなる。そして、それが正しいと教えられれば、する側もされる側も変えようとはしない、たとえそれが、愛する人、子供、兄弟におこったとしても。

 

自己嫌悪

自分がとった行動により、暴力を振るわれ、殺されかけ、その後も、見下され、軽蔑され、殺意を持たれ、心と体に傷をもったまま生きる。たとえ、その行動が日本では問題がなくても、その地域の決まりに従えないと、その罪を一生おいながら生きていくことになる。

 

牛と同等の女性の地位

女性は動物、またはそれ以下に扱われ、働き、男性を産むことで価値を認められる。男性を産めず、女性ばかり産んでしまうと、出産後、子供を窒息死してしまう。そして、それに対して涙も流さない。

 

家の威厳

家の威厳というのは、そんなに大事なものなのか。家族を殺してまでも、家の威厳を守ろうとする両親。兄弟に姉妹を殺させ、死んでも涙も流さない。

 

目に見える傷

スアドは一生、火傷した皮膚のまま生きることとなり、夏でも、服装の自由はなかった。彼女は、女性として生きただけだったにも関わらず、傷を負うことになる。

 

ジャックリーヌ

自分の身の危険も顧みず、スアドを助けるため、彼女の部落へ行き、両親を説得し、国から許可をもらい、彼女の子供を探し出し、スイスまで搬送した女性。なにが彼女をそこまでさせるのか。周りからの反対を押し切り、一人の女性を助けるための勇気に感銘をうけた。

 

スアドの子供

本を書くにあたり、スアドが心配していた子供達への影響。母親の経験をどう受け止めるのか。また、スアドの子供への愛情を深々と感じる。

 

感想

女性として生きていくこと。それは、どんな社会でも沢山の問題があるだろう。

ただ、スアドがいた部落では、男尊女卑の程度がひどすぎる。暴力はあたりまえ、そして、殺人さえ起きてしまう。毎日、おびえながら生きていき、その環境から逃れることもできない。スアドのケースはとてもまれだが、彼女が本を書くことにより、そんな文化に警報を鳴らし、女性の権利、地位向上の為の動きになったことは確かだろう。日本では、暴力、殺人など正当化されることはすくないが、見えないところで、いじめ、家庭内暴力などがおこり、現代社会でもなくなることはない。この本では、ジャックリーヌという強い女性が、スアドを助け出したが、日本でもジャックリーヌのように、一人でも救いたいという強い願いが、大きな変化をつくっていくのかもしれない。